合唱曲「海はなかった」解説 その2

続いて歌詞の解釈を考えます。
ます歌詞を引用します。
合唱組曲「海の詩」より第1曲「海はなかった」
作詞 岩間芳樹 作曲 廣瀬量平

(以下、「海はなかった」歌詞全文掲載予定)

歌詞は以上です。
海を前にした若者が、空に飛び立てないまま死んで行ってしまった鳥たちに自分を重ねて思いを馳せている、そんな場面です。
暗い海と厚い雲に、希望を見出せない現実や社会を対比させています。
夏の旅人の髪飾りというのはこの鳥の羽ですが、若者にとっては自分の生きた痕跡(あしあと)ということになります。

詩に物語性があるので、情景は比較的思い描きやすいですが、象徴されるものと対比については解釈が色々あるかも知れません。
入り江は寂しく、ふたりの他には何もおらず、そこで白い羽を見つけます。
光にかざして鳥の生きていた過去、終わってしまった夏を思います。
人生を謳歌できるべきなのに、それができない現実。
名も無い鳥の生きた痕跡である羽を墓標に、浜辺にお墓を作ります。

公害のことを歌っているのだ、ということが時々言われるようです。
確かに1960年代には水俣病に代表される海の公害をはじめ、作詞された頃には岡山のコンビナート重油流出事件などもあり、「海は鳥たちのまばゆい記憶を汚して消した」という部分を公害と捉えることもできるのですが、
それでもそれは曲のテーマではなく、テーマはあくまでも希望を見出せない若者のやるせない思いということだと考えています。
また、「ふたり」で浜辺に砂のお墓を作るということから、この2人の恋は終わってしまって、だから主人公は絶望しているんだという解釈も聞きますが、この雰囲気が失恋の歌であるとはどうも思えません。

作詞者によれば、都会へ出た後過疎地へ戻ったものの居場所が見出せない若者のエピソードからインスピレーションを受けたそうで、これは組曲の4曲目「海の匂い」にもっともよく表れているように思います。
組曲を通してのテーマは海を前にした人間の思いで、第4曲目までは自由に生きられないことへのもどかしさと絶望ですが、最終曲でようやく希望を歌います。

合唱曲「海はなかった」 解説

気が向いた時には、楽曲の紹介をして行こうと思います。
今回は混声合唱組曲「海の詩」より第1曲「海はなかった」をみてみます。
ちょっと長くなりそうなので、
1、作品概説
2、歌詞と背景の解釈
3、演奏メモ
の3部構成にしようと思います。

まずは1、作品概説です。

混声合唱組曲「海の詩」より第1曲「海はなかった」
作詞:岩間 芳樹 作曲:廣瀬 量平

この曲は元々、昭和50年(1975年)のNHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲として作曲されたものです。
その後、4曲が作られて混声合唱組曲となりました。第2曲~第5曲は後に松平敬氏により編曲され、男声合唱版(2007年初演)、女声合唱版(2010年初演)が出版されています。
組曲として根強い人気があることが伺えます。
混声・男声・女声と出版されている合唱組曲は、意外と多くはないものです。
もっとも人気があっても、曲調が合うかどうかという理由で作られないものもあると思います。女声版「月光とピエロ」とか違う気がしますし。

話が逸れました。
組曲の構成は
第1曲 海はなかった
第2曲 内なる怪魚 シーラカンス
第3曲 海の子守歌
第4曲 海の匂い
第5曲 航海
となっていて、
第2曲「内なる怪魚 シーラカンス」は合唱としては少々特殊な音を使う(楽譜を見れば一目瞭然です)ことと、第3曲「海の子守歌」は歌詞が無くソロが長いということもあって余り耳にしないようですが、他3曲は独立して演奏されることが多く、中学・高校でも頻繁に取り上げられるようです。

「海はなかった」に話を戻します。
曲を通して重苦しく暗い雰囲気が続きますので、暗く美しい曲が嫌いな人には残念ながらおすすめできません。
衝撃的で不気味なピアノの前奏から始まり、一段落した後に女声から合唱が動き始めます。
この合唱の音型はとても素直で美しく、フレーズを歌うことが大切になります。
中間部は男性から歌い始め、海の残酷さを表現します。
その重厚な雰囲気は盛り上がりを見せ、再び最初のテーマに戻り締めくくられます。

おすすめの演奏:

福島県立安積女子高等学校
指揮 渡部康夫

発音の繋がりが自然で、聴いていて心地よいです。

http://www.youtube.com/watch?v=e6ry4A8IKDw

ホイッスルヴォイス

泊まっている部屋の問題で、相変わらず楽器も弾けず、歌も満足に歌えない状態ですが、この機会にホイッスルヴォイスにでも挑戦してみようかと思い立ちました。
私には、いずれ混声合唱曲をひとりで全パート歌えるようにしたいという目標があって、そのため高音をきちんと出せるようになることが必要です。

ホイッスルヴォイスというのは、あれですね。
声帯を閉じた状態から僅かに開けて、適度な空気の通りを調節することで超高音を出すという発声法です。そういえば小学生の頃、これでキャーキャー出して遊んでいましたが、いつからか出なくなりました。今考えると、あれが声変わりの始まりだったのかも知れません。

このホイッスルヴォイスで出る音域はソプラノパートの高音以上が基本のようなので(より低い音も出るそうですが)、使用機会がどれほどあるのか謎ですが、声帯を閉じる練習としても有効ということを聞き、とりあえず練習してみます。

とにかく声帯を薄く伸ばして、針の穴のような隙間に息を通すような感覚で出すと良いらしいです。

やってみました。
うん、出ない。出ませんね。
これは宿題ということにします。

指合わせ練習

以前の投稿 練習ができない時にはどうするか に対して、知り合いから一つ情報を頂いたので紹介します。
何も持たずに片手でできる、指の練習です。

まず、親指と人差指を合わせ、丸い空間を作ります。
OKサインみたいな感じです。
他の指は力を入れず楽にします。

この形を目標に、一度親指と人差し指を開き、再び閉じ合せてOKサインに戻します。
この時、なるべく勢いをつけてしっかりしっかりと、できれば大きな音が出るように意識します。
このように強く閉じようとすることで、指を鍛えようということです。
同様に中指、薬指、小指でも同じように行います。

今少しやっているのですが、人差指、中指、薬指では音が出ますが、小指はやはり弱いですね。
継続してやってみて効果を検証したいところですが、実際にピアノを弾く上で変化が出たかどうかはなかなか分からないのではないかという気もします。
実際打鍵をする際の運動とは異なりますし、親指に関しては力を入れる方向が全く違いますが、親指は元々強いから良いのでしょうか。

とりあえずしばらく試して、指合わせの音が大きくなるかどうかやってみましょうかね。
因みにこれは、知り合いが習っているピアノの先生に教わった練習だそうです。

歌と歌詞の関係

歌には歌詞が付いていて(無いものもありますが)、これが歌を他の器楽演奏とは違う、極めて特殊なものにしていると思います。

歌が音と歌詞で成り立っている以上、両者の関係はとても重要なものになるでしょう。例えば同じメロディーを歌う場合でも、歌詞が明るいものとシリアスなものとがあれば、曲調はやはり変わってくると思います。

歌詞はまた、フレージングにも大きく影響します。歌詞のまとまりの途中で切ると変な感じになるからです。また、言語の違いも演奏の仕方を左右すると思います。下の譜例を見てください。

izatate ja

 

無伴奏合唱曲として有名な、「いざたて戦人よ」冒頭です。歌詞が音に自然に乗って、良い感じですね。

今たまたま手元にある楽譜(新選混声合唱名曲集1 教育芸術社出版)には、日本語の歌詞に合わせて英語の歌詞も載っています。書き直したものを示します。

izatate en

 

日本語の歌詞で歌うのに慣れていると、初めてこの歌詞で歌うのに違和感を感じるのではないかと思います。ここでは特に「of salvation」ですが、実際の発音では「o – of sa – al – va – tion」となり、楽譜上の1音と歌詞の1音が対応している日本語とはちょっと違いますね。また最後の「Head」のバスですが、歌うと「he – e – e – ed」となります。別に悪くは無いと思いますが、「つ づ け」と発音できた方が爽快感はある気がします。

曲全体を通して、この譜面は日本語で歌うために調整して書かれているものであり、マクグラナハンが最初に合唱用として書いた楽譜は音型がちょっと違ったのではないかと想像されますが、残念ながら手元に原曲の楽譜がありませんので正確なことは言えません。

結局何が言いたかったかというと、この例では、この譜面のままで英語の歌詞を付けて歌うのは何か違うのではないか、ということです。そして一般に、歌詞が変わると歌い方も変わる場合があるから注意、ということでした。

因みに「いざたて戦人よ」ですが、これは元々歌詞はドイツ語だったようです。